ボーイスカウトの守護神「道臣命」
          (みちおみのみこと)
     
             「道臣命」を祭る神社が橿原市内に・・・ 

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ボーイスカウトの守護神「道臣命」って?
右の写真がボーイスカウトの守護神「道臣命」(みちおみのみこと)です。
何故まほろば地区のホームページでボーイスカウトの守護神「道臣命」(みちおみのみこと)を紹介するのか・・・それは「道臣命」(みちおみのみこと)を祭る神社が橿原市内にあるからです。








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そもそも守護神とは?
■英国のボーイスカウトの守護神は?
騎士St.George(セント・ジョージ)はカッパドキア人を父母として西暦268年に生まれた。彼は兵士としての素質に恵まれていたので17歳のときにローマ皇帝の直轄軍の兵士となることができた。かれは兵士としての能力に優れていたので、間もなく騎兵の高い地位に就くことができた。彼は信心深く、敬虔で素直なキリスト教徒であり、キリストの教えを良く理解していたので、「異教徒を完全に迫害せよ」とのローマ皇帝の強い命令に従うことができず、皇帝の命令に反して多くの異教徒を救った。後にこれが災いして拷問に掛けられて西暦303年4月23日に没した。
●セント・ジョージのお話
ときは2世紀、リビアのある町に、供え物として次々に人間を要求する悪いドラゴンがいました。人身御供はくじ引きで決められましたが、ある日、そのくじにお姫様があたってしまいました。 たまたま近くをとおりかかった正義感の強いセント・ジョージは、ドラゴンと戦うことに決め、 とうとうドラゴンを打ち負かしてしまいました。町の人々はセント・ジョージの勇気に大変感嘆し褒めたたえました。
このシーンは画家ラファエロによっても描かれ、現在では英国、ポルトガルなどの守護聖人として奉られており、騎士道精神の象徴とされています。
ベーデン・パウエルは「スカウティング・フォ・ボイズ」の中で次のように教示している。
騎士の守護聖人はSt.George(セント・ジョージ)であった。それは聖人の中でただ一人馬に乗っているからだ。彼は騎兵の守護聖人で、騎士道という言葉もそこから来ているからだ。又イングランドの特別の聖人でもあった。英国の国旗(ユニオンジャック)の白地に赤十字はSt.George(セント・ジョージ)の紋章である。
関連サイト
■聖なる騎士「聖ジョージ」の物語
■騎士の守護聖人セント・ジョージ


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日本のボーイスカウトにも「守護神」を・
ボーイスカウト日本連盟では、神宮遙拝・氏神参詣、鎮守社の清掃と言った単なる形式による礼拝ではなく、ボースカウトの精神生活に密接な関係を持つ神を守護神と仰いで、心と神の存在を接近させようという新しい実践方法を採用しようと言う動きがあり、ボーイスカウト発祥の地英国のSt.George(セント・ジョージ)のような守護神しとして模索する中に、大正天皇がボーイスカウトの初代の総長後藤新平伯に御遺物として賜ったのが左下の写真の建国のパイオニアであった道臣命の木造であった。
パイオニアとスカウト、ここで後藤総長は、道臣命の木造を自分が持っているよりボーイスカウトの守護神としてお祭りする方が良いと思われて道臣命の奉斎式が神武天皇祭にあたる1928年(昭和三年)四月三日全国一斉に挙行された。
東京においては、午前10時より東京麻布の高松宮御用地内においておこなわれた。当日雨にもめげず東京連合少年団32ヶ団600名のスカウトが団旗を先頭に来場した。
やがて守護神奉迎隊が後藤新平総長宅に行き、健児音楽隊の奏する「国の鎮め」の楽の中で、道臣命の彫像をスカウトが受け取って式場に持ち帰り祭壇に奉置しておごそかに奉斎の儀式を行った。(左の写真参照)
のち、道臣命像は金剛精舎に奉斎され、日本連盟は以後毎年四月三日を恒例の守護神祈念祭と定め、祭典を挙行した。

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「道臣命」(みちおみのみこと)とは?
天孫降臨の際、先導をつとめた天忍日命(あめのおしひのみこと)の玄孫にあたる道臣命は、神武天皇が紀伊から大和へ入られるとき、当時の近衛兵であった大来目部(おおくめべ)を率い、その先頭にたって進んだ。道は険しくその上賊軍の勢力が侮りがたかった。
この時、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の託宣によって、ヤタガラスが現れ、この鳥を道案内として道臣命は賊軍を滅ぼした。このほか道臣命は宇陀の郷(奈良県宇陀市)で賊軍の将兄宇迦斯(えうかし)を退治し、あるいは長髄彦を「討つなど大きな功績があった。このように道臣命は神話によれば神武天皇の東征を先導し非常に勇敢であったことから、少年団健児(ボーイスカウト)の守護神とされた。
関連サイト
■道臣命 みちのおみのみこと■道臣命在世記(略年表)
■神々の系譜
■記紀年表(神武天皇)
■国体の始まり. ~神武天皇即位~
■神武天皇の東征

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「道臣命」(みちおみのみこと)=何故 橿原市?
橿原宮で神武天皇が即位されたおり、道臣命(みちおみのみこと)は宮門を守る役目を受け、神武天皇即位2年目に築坂の邑(つきさかのむら)に邸宅を賜った。橿原神宮の南方に鳥坂(つきさか)という神社があり、ここに道臣命を祭ってあるが、その付近が邸宅跡だと「古事記」は述べている。
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「道臣命」を祭る鳥坂神社(つきさかじんじゃ)
現在奈良県橿原市鳥屋町17−1
交通案内:近鉄橿原神宮駅西出口より西に徒歩約20分
貝吹山から北に伸びる丘陵の先端、鳥屋集落の東字東浦に東に面して鎮座する。創立の年代は明かでないが「延喜式神名帳」に鳥坂神社の名前がある。祭神については室町時代初期になる「五郡仁社記」に「衝仁社二座左高皇産霊尊。右天押日命也」とあり「日本書紀」には神武天皇二年に神武天皇が道臣命の功を賞されて、宅地を賜って築坂邑(つきさかむら)に居らしめた。とあるが、道臣命はこの地に自らの二祖神の高皇座霊神とその子、天押日命をまつったのがはじめだと記している。「式内社調査報告」は「つきさか」とは「衝坂」または「桃花鳥坂」(つきさか)が省略され「鳥坂」(つきさか)これがさらに鳥坂(とりさか)に転訓したとある。
関連サイト
■鳥坂神社
道臣命の御墓発見される
 ■その後のボーイスカウトと「道臣命」
 
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●名古屋市「東山公園」の石像
東山動植物園の南を通る東山公園線の緑橋西側から「一万歩コース」を南に約400m入ったブナの樹林の中にたっている石造がボーイスカウトの諸語心としての道臣命の石造で、昭和3年頃に建てられたよ伝えられている。


参考文献 東山公園樹林内に隠れ石像
前の神社遺物、今はBSの守り神

平成4年10月4日中日新聞記事







 
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●山中野営場のお社の土台
昭和15年12月12日有志の寄付金で「少年団守護神司」の鎮座式が挙行され、今でも山中野営場にその土台が残っている。
(場所は山中野営場の実修所のときに山火事訓練の講評をする所)







 
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●「第1回日本ジャンボリー」ポスター
このポスターは、当時の東京連盟の理事である小城基画伯が描かれたポスターで、背景の山は浅間山。スカウトと浅間山の中間に一人の古人がスカウトの進むべき道を指差している。この古人が道臣命である。
第1回日本ジャンボリーは昭和31年8月3日〜7日長野県軽井沢町地蔵ヶ原で開催された。


 
 
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●明治維新百年記念「神社スカウト大会」大会シール
昭和43年8月24日〜25日開催された「神社スカウト大会」の大会シールに道臣命が取り上げられました。








 ■「参考資料」
*愛知スカウトクラブ機関誌第23号 *日本ボーイスカウト運動史U 
*日本ボーイスカウト運動史「目で見る80年」
*日本ボーイスカウトまほろば地区副会長中西氏(橿原第9団)